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円天
L&Gという会社が。「減らないお金」という宣伝文句で、3万1千人から1,260億円を集めた。インチキである。逮捕された社長及びその部下たちは、マルチ商法等で逮捕されたことのある、いわば常習犯らしい。この種の犯罪は、特定のグループが次から次へ、手をかえ品をjかえ、新たな手口で犯行に及ぶという。逮捕され実刑を食らってもせいぜい数年、出所後、グループを再結成して、新しい「金融商品」を開発してカネを集め、再び逮捕されるか破綻して終わる。報道も、「簡単に儲かる話はないから、注意しましょう」で終わる。自分だけはだまされない、という自信家がひっかかるともいう。カネが戻らないことを知ってから、後悔をする。なんで、こんな話を信じたのだろう・・・心構えとしては、「自分はだまされやすい、だから、うまい話がきたら信頼できる人に相談しよう、友人に相談しよう、家族に相談しよう・・・」だろう。振り込め詐欺、オレオレ詐欺でも、孤立した高齢者が被害者になるケースが多いという。孤独な人、孤立した人を詐欺師が狙う。
マッダレーナサミットまで解散はない
麻生総理大臣は、人々からその資質を疑われる段階から、資質なしと確信をもたれる段階に移行した。にもかかわらず、解散・総選挙を決断しない。報道によると、この人は、7月8~10日、イタリアのマッダレーナ島で開催されるサミットに出席するまで総理大臣を辞めないつもりだという。そういえば、政権を放り出した福田前首相も北海道洞爺湖で行われた自国開催サミットの議長を務めたことを花道にした。日本の政治家の多くは、総理大臣になって、世界の首脳が集うサミットに出席し、その名を世界規模に記したい、という願望が強いようだ。麻生首相の場合、外交能力が高いと自認しているともいわれる。本当に外交能力があるのかどうかは別として。世界の首脳で暇な者は一人とていない。レイムダックを相手に深刻な話題を持ち出すわけもない。相手の残り在籍期間が1ヶ月程度と見透かされれば、相手にもしないだろう。人間関係を築いたところで、無駄になる。マッダレーナ・サミットは、麻生首相自身にとって、世界でいま最も有名な、アフリカ系米国大統領オバマに会えた、という「思い出」の場で終わるだろう。個人的願望・欲望を拠り所として首相の座にしがみつくことの是非を論ずるまでもない。テレビで、麻生首相を単なる「遊び人」のおじさんだ、と断じた新聞記者もいたが、そのとおりのようだ。この人(=麻生首相)の話はとにかくおもしろく、座談では天下一品らしい。趣味も広い、金もあるし育ちも良い??そういう資質の者が世襲で政治家になり、それまで数度の挑戦にもかかわらず得られなかった首相の座が、ひょんな拍子で転がり込んできた。就任当初は「遊び人」の感覚で国を動かそうとしたが、思うに任せない。支持率が下がる、失敗もする。そうこうするうちに、今現在、この人の最後の拠り所となっているのは、究極の道楽としての政治、「遊び人」が目指す最高峰??サミットなのではないか。国の代表として、サミット参加のかなう政治家は世界でも多くない。最高級のリゾート地を舞台に、最高の礼で迎えられ、世界のリーダーたちと同じ場所で数日間を過ごし、同じテーブルで食事をする。しかも、その中の一人に、いま世界で最も注目を集めているオバマ米国大統領が含まれている。あと数ヶ月、叩かれようが、支持率が低下しようが、国が滅びようが、失業者が増加しようが、かまうことはない。俺が辞めようが居座ろうが、状況に変化はないはずだ、せっかくつかんだ最後のチャンス、このチャンスを逃したら、俺はサミットに永遠に出席できない・・・報道によると、麻生首相は、「ダボス会議」にも出席したそうだ。「ダボス会議」の愚かさについては、既に当コラムで書いたので繰り返さない。反省と懺悔から開始されるべき「ダボス会議」である。その無力さ及び今日の国際社会に与えた負の効果は証明済みだ。そんな会議であるにもかかわらず、寸暇を惜しんで出席した。この人の世界認識は、ズレにずれているとしか言いようがない。サミットに出たいがため、解散・総選挙をしない首相とは、亡国の徒である。首相の暴走、欲望、願望を抑えられない与党・自民党、追い込めない野党・ジャーナリズム。このままでは、「首相」の価値はいま以上に低下し、政治は後退し、日本の政治状況は直接行動(テロリズム)へ傾斜する可能性もある。国内の政治・経済・社会状況を無視し、サミット開催までは首相の座にしがみつく??こういう愚かな前例を二度(福田→麻生)も繰り返すようでは、国民も舐められたものだ。
久々にカレー
スポーツクラブの後、近くの新築ビルに入居したインド料理店のCへ。Cはインド料理のチェーン店で、店数では日本一ではないかと思う。この店のシステムは、ランチの場合、5種類からえらべる方式で、ナン、ライス(小)、サラダがついて850円。リーズナブルである。拙宅近辺は、カレー料理店が多い。
痛みが消えた
今週の水曜日の朝から首が、そして夕方から肩・背中が痛かった。痛みは出たり出なかったりしてきょうまできた。きょう・土曜日は、胸・背中、肩を鍛える日。痛みが出たら困るな、と思っていたが、ベンチプレスの後半で、痛みが消えた。続く背中のベントローでは、かなりの重さをかけたが、問題なし。いまもまったく問題なし。不思議である。
ダボス会議
「ダボス会議」が開催されている。ダボスはトーマス・マンが著した『魔の山』の舞台となったところ。『魔の山』は、山間部のサナトリウムに入院した青年が、幅広い知識をもった複数の患者たちが説く思想・哲学等から影響を受ける過程を描いた教養小説だ。時代、舞台は、第一次世界大戦前の欧州。読まれた方も多いと思う。「ダボス会議」を主催しているのは「世界経済フォーラム」だ。この会議??昨年までは、世界の経済をリードする「賢人」の集いだった(はず)だが、2008年秋の世界的金融危機を予測できなかった。「ダボス会議」の底の浅さ、まやかしが証明されたわけだが、日本の財界、経済学者等は「ダボス会議」にいまだに幻想を抱いていて、今年も参加した者が少なくなかったようだ。コンベンション業界からみれば、「ダボス会議」は理想だ。世界的名作に数えられる教養小説(『魔の山』)の舞台にして、スキー場等のアフターコンベンションが充実。元首相、元大統領といった各国の大物政治家等の「賢人」が集まる格の高さ。それを目当てに、世界中から人が集まり、ホテルや会議場は満席になる。「ダボス会議」のみならず、どうせ会議を開くならダボスでやろうかというグローバルな諸団体も多く、この地のコンベンションビジネスは順調そのものだ。「ダボス会議」を批判してきた学者等は多いと思うものの、すぐに具体的名前が挙がるのは、管見の限りだけれど、アントニオ・ネグリ(『帝国』の著者)。ネグリはサミットにも批判的だ。もちろん彼は2008年秋の「危機」以前から、グローバルな金融経済の膨張を批判してきた。このたびの世界金融危機とダボス会議は切っても切れない。日本では、「未曾有の金融危機」という表現が定着し、危機が天災=不可避の自然現象のように表現されているが、現代資本主義が内包するメカニズムの現われであり、回避はもちろん可能だった。たとえば、米国(民)が維持してきた高い生活水準は、大雑把に言えば、借金によって支えられていた。借金が返済できなくなれば破綻する。それがいまの米国の惨状だ。オバマ新政権は、米国民が維持してきた価値観、消費観、生活観を「Change」することからはじめなければならない。しかも、その「Change」は、これまで金融資本が構築してきた経済の仕組みを「Change」することが土台となる。オバマは、ウォール街と手を切り、疲弊した製造業の再建に着手しなければならない。さらに、米国の製造業がこの先、何を製造するかという課題に回答しなければならない。ご承知の通り、既存商品の製造は、アジア等の発展途上国に移動していて、米国は最大の輸入国だ。米国が世界をリードしていた自動車産業ですら、「ビッグ3」の経営危機にみられるように壊滅的状況にある。たとえば、世界の工場と呼ばれる中国と製造分野で競争しても米国に益はない。「ダボス会議」は、昨年までの勢いを消失し、金と時間をもてあましている凡人が集まる、暇つぶしの国際会議に戻ろうとしている。本来の「ダボス会議」に戻ったのだ。いまさら、この会議の再生、再活性化は不要だと思うものの、せっかくならば、金融危機を誘発した経済学者、金融資本家及び各国の政府が自己批判をし、金融商品に係る情報開示をおろそかにしてきた罪を懺悔するところから始めたらよかった。日本で開催された「洞爺湖サミット」も同じような性格だが、こちらは現役の世界の首脳が出席していた。時間とカネの浪費であることに変わりないが・・・


